新しい靴の話
2年ほど履き続けた靴がいよいよ寿命を迎え、久しぶりに新しい靴を買いました。
おろしたての新しい靴は、私の足に馴染むまでまだ少し時間がかかります。
新しい靴はいきなり1日履き続けると足を痛めてしまうので、無理はできません。
店頭で試しに履いてみて違和感がないと感じていても、長時間履き続けるとやはり窮屈さを感じたり疲れが貯まったりしてきます。
一日中履き続けなければいけないような外出先へは、まだ連れて行けません。
毎日1時間ほど履いては、すぐ履き古した楽な靴に戻し、少しずつ無理なく馴染ませていきます。
そうして少しずつ履き続ける時間を長くしていき、時間をかけて私の足の形に合わせていくことで、また新たな「私の靴」になっていきます。
少し前の私ならきっと煩わしさを感じていたかもしれませんが、今はこういった「育てる時間」も暮らしを豊かに感じる一つの要素なのだろうか、と思えるようになりました。
すぐに使える便利さは無いし、硬めのエナメルシューズなので馴染むまで長い時間がかかりそうですが、毎日ちょっとずつ変化させて自分に合うものに変えていく手間が今は愛しく感じます。
新しい靴に変わると、なるべく大切に、靴底を擦らないように歩きます。
いつもの脱力した歩き方より、少し背筋も伸びる気がします。
何気ない毎日の「歩く」という移動手段を、靴によって強く意識するようになります。
靴に限らず「新しい」ということは身を引き締めてくれます。
新しい服、新しい職場、新しいノート、新しい消しゴム…
新しいという事は転機にも思えます。
持ち物をひとつ新しくしただけで、ここから何か新たなスタートがあるような気分にさせてくれます。
古いものにあるノスタルジーと両極端にある魅力。
どんな小さなものでも、新しさはしがらみを断ち切り、リフレッシュできる力を持っています。
「自分へのご褒美」をあまりしない私は、「自分への励まし」をします。
考え続けるとキリのない私は、悶々と悩み続けることが続いてきたら、何か新しいものを手に入れることで、そこから前に進む勇気をもらいます。
靴のように馴染ませる手間のかかるものは、買ってからしばらくはその靴のことを意識します。
そうして、その「新しい」という意識の続く間―身が引き締まっている間に、自分なりの答えを探して決断するようにしています。
良い靴を履くと幸せな場所へ連れて行ってくれるというフランスの言葉がありますが、たとえ高価な靴でなくても、自分が出会った素敵な靴なら自分にとってのステキな場所へ通じると、私は解釈しています。
願掛けなどはしない方ですが、これが良い巡り合わせを繋いでくれることもあるかもしれません。
画像は内容とは何の関係もないウド(2017)顔彩。
調べてみると、その花言葉は「インスピレーション」。
山菜のイメージがあって意外ですが、花の形を見るとちょっと納得です。
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