ブログを続けるということができない理由
過去にいくつかのブログを設立しては、今現在まで継続させることができませんでした。
その理由を自分なりに考えてみたので、ここに記録しておこうと思います。
過去のブログを振り返って反省してみる
・書きたいネタがすぐに降ってこない
・長い文章を打つことに慣れていない
・考えを読みやすくまとめることに慣れていない
・ブログとしてあるべき姿にすることに慣れていない
忘れないよう箇条書きにしていきました。これから順に突きつめて自分なりに説明をしてみようと思います。
ブログが続かない理由1:書きたいネタがすぐに思いつかない
どれだけ思いつかないかというと、ネタがないなーと思ってこんなことをブログのネタにしてしまっているくらい、思いつきません。
毎日の出来事を日記代わりに記すにも、それほで波乱万丈であるわけでもない。
見落としている面白い出来事があったかもしれないけれど、それを執筆の時に引き出せるような脳の作りになっていない、というほうが正しいかもしれません。
どんな些細な出来事でも、そこから感じ取ったことやそれに類似する過去の思い出、そのとき考えたことなどを引っ張ってきて記事にすることは出来る。
ですが、ブログを始めたばかりの私にはそれをする力が備わっていません。
そして、いつもブログを継続できない私は、いつも「ブログを始めたての私」というわけです。
ブログが続かない理由2:長い文章を打つことに慣れていない
ブログの記事は、ある程度のボリュームが欲しいところです。
これは完全なる好みなのかもしれません。特別読者の方を気遣ったことではありません。
わざわざページを開いて読んで下さる方に、読み応えの無いものをお見せしたくない、といった類のものではありません。
単に、私が後から読み返して「つまらん」と思うものを残したくないだけなのです。
つまる つまらないは人それぞれですが、私の中でそれを決定づける大きな要素。
それは内容の充実です。
例えば昨日、「歯を抜いた」ということを話題にしました。
その事実一つだけでも後から自分が読み返して「ふーん、あったね」で終わるような記事を書きたくないのです。
ブログが続かない理由3:考えを読みやすくまとめることに慣れていない
長い文章をただひたすらに、気の赴くまま書き続けることもあります。
それは、自分なりの考えを述べるときや常日頃胸の内に秘めた不満、様々な問題に対する解決策など…
自分の”考え”が記事の主題となる場合によくあることです。
この場合、無駄に長く、しかも書いている端から新たな考えに分岐していってまとまりのない代物になります。
これをまとめあげるには数日かかりますし、まとめているつもりで途中から新しい枝を作っていることも珍しくありません。
ブログが続かない理由4:ブログとしてあるべき姿にすることに慣れていない
「ブログとしてあるべき姿」とは?
どうせ書くのであれば、読みやすい記事を書きたい。
そう思って何度かブログの記事の書き方を調べたことがあります。
先程、読者じゃなく自分が満足するため、などと書きましたが、それは少し、いえ大きな嘘です。
読み手があって、読者がいて、リアクションがあってやりがいを感じることも多いです。
でなければわざわざ文字数の増える敬語の文体で文章を打ったりしません。
実は、少しにじみ出ているかもしれませんが私は口の綺麗な方ではありません。
虫の居所の悪いときなどは、独り言で悪態など平気でついてしまいます。
物事を素直に受け止められず、斜めから見た物言いをすることもあります。
ここではそれが大きく露呈してしまわないように、「ほんの少しきれいな私」でいるために、丁寧めの文体にしています。
それは読者の目を意識していることに他なりません。
さて、ここで指す「ブログとしてあるべき姿」とは、ストレートに言うと「読者が付きやすい記事」もっと言うと「伸びる記事」ということです。
代表的なものだと、キーワードや題材を定めて書くこと、1生地あたり1500文字以上は書く。
上記で私がなかなか達成できないと挙げていたものです。
口は悪いですが根は真面目なので、なんでも本気でぶつかろうとします。
ブログでも「完璧」…とまではいかずとも、「より記事らしい記事」たりえることを念頭に執筆しようとしました。
そうして、頭でっかちになり、結果はやはり続きませんでした。
継続が先か、充実が先か
まず「書くことを続ける」ということに焦点を当ててみてはどうか。
書く習慣が身についてから、充実した記事を書くのはどうか。
そう思い過去に実践したこともありましたが、全く楽しくありませんでした。
私自身が充実できない記事を趣味で書き続けることに、意味を感じることができませんでした。
なぜそんなに何度もブログを継続させることに固執するのか?
続かないことは不向きなのでは?
そう思うことは不思議とありませんでした。
文章を書くことは昔から好きでしたし、こうやって時間をかけて文章を構成していう間もやりがいを感じています。
毎回続かないのであればその原因を探ってみよう、と思えるほどに真剣に取り組みたいことだと感じています。
で、結局どうするの?
さて、問題を洗い出したところで、今思い当たる解決策“らしきもの”を提示していこうと思います。
らしきもの、というのは、私自身未だ達成できていないからです。
達成できていないことに対して、あたかも解決策のように「こうするといいよ!」と自分を騙すために書くからです。
・解決策(らしきもの)1:ネタ探し
・解決策(らしきもの)2:文字数・脱線防止
・解決策(らしきもの)3:伸ばすことへの意識
解決策(らしきもの)1:ネタ探し
どんな些細な出来事でも、そこから感じ取ったことやそれに類似する過去の思い出、そのとき考えたことなどを引っ張ってきて記事にすることが出来る脳にする。
これは、上記で自分が「そんな脳みそじゃないし~~」と言っていたことそのままです。
そんな脳みそじゃないなら、そんな脳みそになるよう努力すればいいだけの話。
もちろんすぐに実現はできないでしょう。
ですが、日頃から意識していないとできるようにはならないし、ただ文章を書くことだけに慣れてもネタ探しが上手になるとも限りません。
解決策(らしきもの)2:文字数・脱線防止
書く内容(メインテーマ)に章をいくつか付け、各項目ごとに整理して書く。
…実は、ネタがないネタがないと言いつつもネタはあるのです。
何を言っているんだこいつは…と思うかもしれませんが、実はネタはあるのです。
これについて書こう、これを話題にしてみようというメインテーマはあるのに、いざ執筆となると筆がのらない。
話したいことはあるのに、整理ができていないため、自分でも何を言っているか分からない、という経験はありませんか?(わたしはよくあります。)
ブログでも、メインテーマを決めるだけでは執筆の準備には不十分なんですね。
大きな題の中に小さな章を作って、それに沿って書くと自然と文字数も内容の充実度もアップします。
そして、自分自身が何を書けばいいか分かっている(整理されている)から、執筆も早くなる。
今回の記事ではこれを試してみましたが、昨日の「歯を抜きました」と比べて格段に記事の進みが早く、そして文字数も多くなっています。
昨日は何も整理しないまま、ただ最近あったことについて順を追って記録していたので、途方もない迷子になることはありませんでした。
それでも前後を思い出すのに時間がかかったり余計な文章を挟んでしまったりということがあったので、章立ての重要性を強く実感しました。
解決策(らしきもの)3:伸ばすことへの意識
なぜブログを伸ばすことに執着するのか?
これは、自分自身が充実した内容のブログを続けたいと思っているからです。
そう思ってはいるけれど、自分一人では心が折れてしまうからです。
ご存知の方も多いでしょうが、誰かからの反応があることは、予想以上に大きな原動力になります。
自分と縁もゆかりもないこの世のどこかの誰かが読んでいるという事実は、それだけで執筆の糧になります。
ですから、まずはその糧を得るべく”伸ばす”ということを一つの目標にします。
糧を得るための努力、つまり狩りですね。
・伸ばすために毎日書く。
ブログは毎日書けばそれだけで伸びる。
そんな魔法のような言葉を、あちこちで目にすることがあります。
ですが、肝心の「毎日書く」ということができないから、伸びる伸びないが出てくる。
ずっと書き続けるというとまた心が先に折れるので、まずは2週間継続していくことを目標にします。
人間の習慣は2週間で確立すると聞いたことがあります。
早起きも無理して2週間続ければ、自然に起床できるようになると。
だからまずは2週間。(どこかの化粧品のせんでんではありませんが)
・10記事ごとに「ブログの書き方」を1つずつ導入していく。
頭でっかちになって挫折することを防止するために、「慣れたらちょっとずつ充実法」で対処していこうと思います。
調べ事をして記事を漁っている間に記事を書く時間が無くなる、という事態(よくある)も回避できるかと踏んでいます。
ここで毎日やることを纏めて閉めます
長い記事を読んで頂いてありがとうございました。
決意表明をして終わります。
・記事にしたい出来事を手帳に書く(ネタメモ)
・具体的にどんなことが語りたいか3つ以上書く(章立て)
・ブログを書く
ここまで書いておいて本当にできるか自分が信用できませんが、誰かが読んでいると信じて続けていきたいと思います。
2週間(2017年9月7日まで)毎日継続できた頃、振り返りたいと思います。
画像は特に関係のないバラ(2017)清書までしてお蔵入り。
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