赤の他人に挨拶する恐怖

近頃、体力を少しでもつけようと散歩を始めました。

ウォーキングというほど張り切って歩かないけど、ほんの少しいつもより足を上げて歩くようにしています。

今日は、散歩ですれ違った人に初めて挨拶をしたときのことを話します。



見知らぬ人に挨拶することありますか?

普段、見知らぬ赤の他人に向かって挨拶することはありますか?

私は、自分からすることはありません。

私の中で挨拶は、気軽なようでいてそうでもないのです。


「知り合いじゃないよね?」とか「何この人?」とか、そんな風に思われないだろうか。

思い切って挨拶しても気付かれないのではないだろうか。

そんな想いが先行して、なかなか行動に移すことができません。

自分が全く知らない人に挨拶をしてもらった時、そんな気分になることなんてありません。


されると嫌な気分はしないのに、自分からはなかなかできないこと。

見ず知らずの人にも笑顔で挨拶できるような人になりたい。

そう思って、散歩の時にすれ違う人で実践してみようと思い立ちました。



地元では思いもしなかったこと

地元で暮らしていた頃は、すれ違う人に挨拶したいなんてことを思ったことはありませんでした。

むしろ他人と自分の領域をきっちり線引きすることこそがマナーというか。

相手もそう感じているだろうし、それがそこでの一番穏やかな過ごし方だと。


田舎・都会に関わらず、若い世代には特に通じる感覚かもしれません。

小学校でも知らない人と話さないように指導することもあると思います。

どこでどんな事件にかるか分からないからです。



田舎だとすれ違う人も限られる

散歩では、目的地を決めず徒歩30分県内を無差別に歩き回っています。

挨拶をできる人間になりたい!そう思いながら歩いています。

日の落ちる前の涼しく歩きやすい時間帯を選んでいると、そのときすれ違う人というのが決まってきます。


近所を見かける人を観察するうちに、分かったことがあります。

それは、すれ違うことがとても気まずそうだということです。


当たり前ですが、歩く時は前方を向きます。

そうすると、視界に私が入ります。私の視界にも相手が映ります。

そのとき、多くの方は意図して視線を逸らします。

相手(私)のことを見ないように努めます。


地元で誰かとすれ違う時、このようなことはあまりありませんでした。

見ようとしないのではなく、本当に見ていないので逸らすことも無いのです。

他人の領域を侵害しないことに長けているので、たとえ人通りが少なくても相手を意識することなくすれ違うということができる。


でもここの人たちは違う。

おそらく、「若い人たちはそうだ」「都会の人はそうだ」という見解はあるのでしょう。

それで「侵略しないようにする」、という行動を取るのだと思います。

(※私は決して都会の出身ではありませんが、服装からそう思われることが多いです。)


毎月ポストに入る広報誌にも、いつだったかこんなことが書かれていました。

登校する小学生に「いってらっしゃい」と挨拶していいのかわからない、と。



見てみぬふりはバレバレです

残念ながら、多くの見てみぬふりは、「見てみぬふりをしているな」ということが丸わかりです。

私は視力は全く良くない方ですが(しかも眼鏡の度は合っていない)、視線や挙動、緊張具合から伝わります。


その人のリラックスした状態など知らなくても、観察力など無くても分かるものです。

急に鞄の中身を探り出しても、スマホをいじっても、傘で覆っても分かります。


見てみぬふりには二種類あって、それは私のことが嫌いな人がする「見てみぬふり」、私のことを知らない人がする「見てみぬふり」です。

前者の場合、視線は一定に固定されることが多く、「断固として見ない!!!」という意思が伝わってくるほどです。

一方で、前者はこちらを伺うようにもう一度目線を戻すことがあります。

私はこの隙を狙ってみることにしました。



軽く会釈してみた結果

散歩を始めて数日、やはり多くのお人が目を逸らしたり俯いたりしてすれ違うまでやり過ごそうとします。

そのままこちらが目を逸らさずにいると、互いの目線が交わる瞬間があります。

そのタイミングで笑顔で会釈してみました。


相手の方は嫌な顔、怪訝な顔ひとつせず、深い皺の畳まれた美しい笑顔で応えてくれました。

その日の散歩は景色も一段と美しく、とても有意義なものに感じられました。



簡単な一歩でずいぶん心が軽くなる

以来、挨拶をする回数が少しずつ増え、見覚えのある人でなくてもそれを心がけるようになりました。

どこの誰とも知れない人々と何のしがらみもなく交わすコミュニケーションは、気分を前向きにしてくれます。


今日は散々だった、良くないことが合ったと身内に吐き出すことはできるけど、問題が解決しない間は鬱憤が完全に晴れることはない。

ときには何の言葉も交わすことなく、ただ顔を合わせて会釈しあうだけで背筋が伸びることもあるのです。


画像は内容とは何の関係も無いツバメ(2017)。

この町に来て5~7月はしょっちゅう見かける憂いやつです。

スズメノタヨリ Official Website

制作者が触れた生活の中にある自然や身のまわりにある草花を描いています。 草花や鳥たちで感じる季節感を愛おしく思いながら創作活動をしています。 ふとした瞬間に身近にあるものが魅力的に見える瞬間を大切にしています。

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